2010年5月14日金曜日

被選挙権

つい先日、高校時代の友人を和光市にわざわざ呼び出して、一緒に飲みにいきました。去年夏から私が和光市に住みだし、一方で、友人は、数年前より関東で働いていたのですが、今年に入ってから和光市の近くに引っ越し、それを機に改めて交流が深くなりました。今年に入って彼と会って話をするのは、今回で5回目です。

この飲みの目的は、政治や経済における思想、理念、理論について、正否両方の考えを理解した上で、筋の通った考えに到達することです。端的にいえば、持論をもつ、ということでしょうか。私は、現在の日本のあり方について、釈然としないものをこのところ、ずっと持ち続けています。

彼は、大学時代に立命館大学の政策科学部で学問に励みつつ、地震防災や公共のあり方について、問題意識をもって、学外活動を行っていました。以前にも、話を聞く機会があり、色々と考えをもっているなあと、感心しました。

残念ながら、私が研修生として通っている理化学研究所には、私が知っている限り、政治・経済に興味を持っている人は少ないです。私の知っている理研の研究員には既婚者が多く、時間的余裕が少ないせいか、一般的な政治・経済の話には興味がない様子です。(別に彼らを批判しているわけではありません。彼らは、科学に関わる政策、例えば理研の事業仕分けには、あり得ないほどの量の知識といろんな考えを持っています。科学者らしさが、こういうところにも出るのでしょうね。これはこれで、良いことだと思っています)。

政治や経済に関する一般的な話をする相手がいないというのは、良いことではありません。思想や情熱があっても、一人何も活動せずにいると、これらは色あせていくものだと思います。
司馬遼太郎の小説の「竜馬が行く」や「翔ぶが如く」を読んでもわかるように、幕末から近代日本創成期に活躍した偉人は、みな政友、論友を持っていました。時代が変わっても、人間の本質は変わらないと思いますので、現代においても、表舞台に出るまでにも、政友や論友をもって、思考や理論を成熟させることの大切さを感じます。

というわけで、政治に関して色々な考えや経験を持っている前記友人を引っ張りだしました。

と、私の方から声をかけて、飲みにいくことになったのですが、飲みだしてすぐに、「来年の大阪府議選挙に出るかもしれない」と、いきなり言われました。私自身も、政治に参加することに興味をもっているので、偶然さとタイミングの良さに、余計に驚きました。彼は、どうやら、学生時代の活動のコネクションで、GW中に元議員の方に声をかけられ、地方分権に関わる活動に、巻き込まれていくかもしれないとのことです。

日本では、25歳以上(参議院議員以外の代議士と市区町村の首長)あるいは30歳以上(参議院議員と都道府県の首長)の日本国民は、被選挙権を持っています。私は既に26歳であり、夏の参議院選挙にはまだ出馬できないものの、ほとんどの地方選挙に出馬できます。「政治や経済における思想、理念、理論について、正否両方の考えを理解した上で、筋の通った考えに到達」するために友人と論じあいたかったのは、被選挙権をもっている人間が、成熟した政治議論も出来ないのに、偉そうに現在の政治を批判すべきでないと、感じているからです。

今の日本では、自分に選挙権と被選挙権があることを忘れ去っているかのように、「政治が悪い」「政府が悪い」「あの政治家が悪い」「国が何もしてくれない」「自分はまじめに働いているのに」と、政治が他人のものであるかのように考えている人が多いです。自分自身で国を変えていく、自分と同じ問題を抱えて困っている人を助けたいという思いで、行動することが大切だと思います。それが出来ないならば、政治に対して、感情的にかつメディアに扇動されて無節操に文句を言うべきではないと思います。

「この人民ありてこの政治あるなり」学問のすゝめ、福沢諭吉。
"Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country." speech, John. F. Kennedy.

必ずしも、政治家として国を変える必要は無いので、どんな手段でも構わないと思います。私自身、どのような形で、国に貢献できるか、まだクリアな考えをもっていません。時勢を伺いつつ、自分の能力を最大限に活かせるような、道を進みたいと思います。

ちなみに、前記友人が選挙に出ることになれば、大阪まで応援に行きたいと思います。選挙応援にいくと、次は私に立候補の推薦の声がかかるかも知れませんが。。。

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